日本を知る。ふるさとを知る。

 

手鞠。

 

かつて私は、日本の文化伝統というものをあまり意識はしていませんでした。もちろん私の故郷・北海道では、アイヌの木彫り工芸や刺繍紋様などの特産があり、素朴ながらも大自然の力強さを感じるそれらの品々をとても愛していました。ですが北海道ではアイヌ文化以外に何百年も続いているような伝統工芸品というものがほとんどないのです。

 
しかし東京では、駅の特設売店やデパートなどにおいて、全国の優れた伝統工芸品が普通に見受けられます。皮肉にも東京という近代的な大都会で、私は日本の地方にある様々な伝統技に触れる機会を得たのです。街を歩いていて、ふとしたことで、日本の美しさ、見事さ、鮮やかさに、心を奪われるのです。

 

たとえばこんな経験があります。お店などで飾られている手鞠(てまり)が視野に入り、脚が止まります。その織りなされる美しい文様の世界に触れて、心から魅了されたのです。

 

40年も前の事になりますが、祖母か母の物か覚えていないのだけれども、お裁縫の道具を幾つか入れた紙の箱に「糸の切れた手鞠」が当時の私の手の平におさまる直径5センチ位の大きさの手鞠がずっと入っていました。赤と黄色と、、、その色の鮮明さと模様の記憶が今も残っています。

 

私の母や祖母、そして妹も、みんな手先が器用でした。でも私は全くのお手上げで…、だから、その手鞠も当時の私には、触れたいけど触れられない、そんな高貴な存在でした。

 

私の両親が二人の娘に孫に買ってくれた着物がありました。その着物の柄ですが、私は迷わず赤の手鞠柄にしました。さらに便せん、封筒、シールも手鞠のデザインで、特別なお便りはもちろん手鞠柄です。

 

手鞠だけではなく日本の伝統工芸品はどれも見事です。とても美しいと感じるのです。涼やかな風鈴、昭和モダンな切子ガラス、強さと柔らかさの和紙、重厚で鉄瓶、ちょっと侘しいお盆の提灯、鮮やかな正絹の着物や愛らしい小物たち…。

 

さて手鞠の歴史は飛鳥時代に遡ります。645年頃、貴族の『蹴毬』遊具だったとか…。1300年以上も前の事なのです。今でも神社等で、奉納行事としての蹴毬会が行われているようです。鮮やかな模様に、古の記憶が隠されています。日本の伝統工芸品とは、ここに魅力があるのです。

 

カタカムナ。

 

「ふるさとeヨーガ」では、レッスン中に使う言葉を日本語の源流「カタカムナ」の言霊(思念)を大事にしています。手鞠の「テマリ」は各文字全てが丸記号、「テマリ手鞠」を私風に意訳すると「受け入れては放射状に放たれる丸い物」と読み取れます。

 

柄の種類も大きさも実に豊富な美しい手鞠。その種類の豊富さにあやかるように「ふるさとeヨーガ」では、プログラムの種類や手法が実に多いのです。また現代の手鞠糸の種類が多いように「ふるさとeヨーガ」ではポーズの取り組み易さに、帯揚げや椅子、他の道具も用いています。

 

ふるさと。

 

それは生まれ育った故郷であったり、ココロが感じる人や場であったりします。「ふるさと」には多様な感覚が包み込まれているように思えます。そして人それぞれの、自分だけの「ふるさと」があります。どれも似ていても同じではない「ふるさと」というイメージ。手鞠の織りなす文様のように「ふるさとeヨーガ」を通して、無限に人の縁がつなげ続けていきたいと願っています。

 

さて…、来月には「手鞠柄のウエア」を作成する希望をもって、京都の地で『生地選び』に行きましょう!

ヱリア(ごとう恵理)